企業と社会と市民と

とめです。
まずは音楽の話題から。最近はboom boom satellitesがgood♪♪だと思いました。あとMUSEもgood。

企業は資本の増大を追求するのが資本主義の原則、費用対効果が最も大きくなるべきなのだから環境資源は消耗されて当然、企業にとって環境保護をする方が資本増大するようなインセンティブを与えるのが行政の対策、行政の方向性を決定するのは議会、議会は市民から選ばれし議員によって成立、市民のうち声が大きいのは資本の大きい企業。?

と考えていったら巡ってんなーと思いました。
巡ってんだな、何もかも、と思ったらなんか悟りの境地のような気分になってきました。
連鎖しているものに対して変化をもたらすことの難しさも感じるし、巡っているならやっぱり社会は1つだ、よし、職業に貴賎なし!、という感じもするし、職業に貴賎なし!なら人間最終的には人間力だな!どー生きるかってことだ!って感じもするし。
友達は大事にってことか。


大学4年間はたくさんのことを考えたけど、やっぱり「私は環境汚してナンボだと思うから」と言い切れる人とは決定的に自分は違う、と感じる。お金が大事とか経済が大事とか、理論で分かっても、理論どまり、サカダチしてもそういう考え方はできないと思った。人と話すと自分が分かる。相手も「環境守って何ができるんだろう」って感じてると思う。豊かな国に生まれて、他国で汚染や災害で苦しむ人がいるかも(しかもその原因が自国にあることも)というときに、許しておけないと思うか、当然この国もどの国もそうやって這い上がってきたんだしそれが原則で仕方ない、と思うか。どうして自分は許せないと思うのか分からないな。この感情をすっぱり捨てられたら非常に楽だと思うけど、「一枚の写真が国家を動かすこともある」がコピーのフォトジャーナル“DAYS”

DAYS JAPAN (デイズ ジャパン) 2009年 03月号 [雑誌]

DAYS JAPAN (デイズ ジャパン) 2009年 03月号 [雑誌]

http://www.daysjapan.net/とか見てると、居ても立ってもいられなくなる。でもみんな志が違ってやり方も考えも違っても、底辺にある情熱はこの国と世界を良くしたいということだと思う。対立することや分かりあえない寂しさがあるのは仕方ないか。
ホントに寿命が足りない。世界は広くて人生は短い!200年ぐらい生きないと今のペースじゃ何もできないよー。走りたい気持ちもあるのに道が見えない!僕の前に道はない僕のうしろに道はできる高村光太郎!文章がうまくまとまらない!誰か!でもぐちゃぐちゃしてて誰にも読んで欲しくない(笑)!音楽はいいよね!あーでも音楽も分かり合えないことあり。絶対的なものなんて何もない!それでも生きてるいのちって不思議。Mother earthに感謝。やっぱ地球をまもろ。
自分は自分にしかなれないわ。