今年最後のブログですね♪

オスカーです♪

皆様、忘年会お疲れ様☆☆
久しぶりにヤングリのみんなと話ができて良かったです。今年は、自分の進路の方向性やら、迷走した研究やら、はたまた、地元の子どもボランティアやらと、自分のことで本当に手一杯だったなというのが、率直な感想です。ヤングリの会議にも途中から顔を出せなくなってしまった(>_<)

5、6月には毎週の日曜日、7、8月は土日とも会議という強行軍。まぁ、子どものためとはいえ、さすがに辛かった。何が辛いって、経験豊富な社会人からかなり厳しいことを言われ、また自分自身も余裕のない中、ほうれんそうのイロハもわからない高校生を相手に色々フォローをしなきゃいけないという中間管理職の状況。

会社でもサークルでも、あらゆる共同体で誰かがこの板はさみになる役割を担ってくれて、初めて組織が成り立つことを痛感しました。また、普段は大学生ばかりという極めて均一化された人間関係しか持ってなかったけど、子どもボランティアのスタッフは大学行かないような人もたくさんいて、自分の生きてる空間が本当に狭いというか、ハイカルチャーな、インテリゲンチアな、そんな甘美な状況をたまたま享受できているだけなんだなと思い知らされました。

この2年間、環境問題=近代化の負の側面を、人文社会科学方面から考えてきたけど、この近代化の中身を、ハイカルチャーな目線で捉えるか、生活者やら民衆の目線で捉えるかで、議論は全く変わるのかなとも思いました。そして、地球環境問題というスキームは、身体性を超えた「地球」という概念を用いる時点で、かなり高度な抽象化や予測という作業を織り込むものだから、実はややハイカルチャーな目線で問題認識をしているのではないかと考えたりもしてみました。

だからやっぱり水俣病とか農薬の問題とか古典的な視点は忘れてはいけないと思う。日本を含む先進国が公害輸出をすることで今の繁栄を維持できているのは間違いのないことだから。


忘年会で少し話したけど、独自の社会学を展開している見田宗介の『現代社会の理論』にも似たようなことがかなり分かりやすく書いてありました。特にカーソンの『沈黙の春』の主張を市場社会の理論と絡めて読み解く部分は本当に鮮やかで目から鱗が落ちる思いでした。時間のある人ぜひ読んでみて。

というわけで、来年の目標は脱ハイカル=「謙遜」かな。では皆さん良いお年を♪