我が心の旅路

こんばんは。寒い日が続くけれど、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。こちらは、少し風邪を引いてしまった(>_<)

おかげで、修論発表会の予行の準備が少々遅れてしまい、今日は一日中バタバタしてました。論文の終章部分で迫力がなくなったねと、指導教官から指摘を受けたので、この3日間で少し手直しをしたのだけど、何だか結論があいまいになり、普遍主義・対・多元主義という哲学上の論争の藪のなかに飛び込む事態に…。発表では、理解の深まったところに絞って、終章は課題を述べるに留めようかな。

今日の発表は完全に消化不良という感じ…。まぁ、多元主義の論客(法哲学者ウォルツァー、ポストモダニストのリオタール、宗教哲学者のジョン・ヒック)あたりの存在を知れたし、プラトン、カント以来の普遍主義的なアプローチの努力もかなり理解できるようになったから、それで潔く善しとしますか。

さて、先週のブログでちょっと法律のことを書いたら、団藤重光さんという刑法学者の対話による自伝『わが心の旅路』という本を紹介してもらったので、早速読んでます。団藤さんは山口生まれの、岡山育ち。儒学者の熊沢蕃山の話がちらほら出てきたけど、こういう名士が故郷にいるというのは何か羨ましい。町田じゃ、ちょっと聴かないもの。遠藤周作が通っていた塾の近くに住んでいたくらい。

青年期を、「即自」(アン・ジッヒ)の時代、「対自」(フェア・ジッヒ)の時代、と区分して振り返るあたりが、ドイツ哲学が日本の法学界に絶大な影響を与えたことを物語ってますね。憲法の先生が「天皇機関説」で有名な美濃部達吉。団藤さんはその後の世代、戦前から戦後への激動期を支えた世代ということになりましょう。また、来週もブログに書こうかな。

それにしても、この自伝というものがあるとすごく助かる。『ミル自伝』があって、J・S・ミルが凄く身近な存在になったけど、カントは永遠に、よくわからずに終わるのだと思う。ある人物を、様々な人々の言説で理解しようとすると、結局、見たこともあったこともない人間に対する解釈や論争に頼らざるを得ず、何か、重大な誤謬を犯しているのではないかと、不安になる。固定観念や偏屈な理解に、俺の頭も汚染されてないかなぁ。わかったような顔をして、人を批判することがありませんように…。


あぁ、玉川学園前についた。電車の広告に、今日も勝間和代の顔がある。チェンジメーカー、講談社より絶賛発売中。カツマーもきっと真面目な素敵な人々に違いない(笑)