スープって
幸福と同じ響き方がすると思う
わけもなく愛情みたいな。

初恋が、叶わないって意味で使われるのとおんなじで。


だけれど私はスープが嫌いだった。
ぬるくなったら、もうほんと全然幸福じゃないし、トマト味のも、なまクリーム風味のもキライ。
特にたっぷりのキャベツの入ったコンソメスープが。


休日の昼なんかに、まだ家族みんなが一緒に食事をとっていた頃、そのキャベツコンソメスープを母は作った。

私はその頃から俄然としてお寝坊さんだったので、正午くらいに起きて下の階に行くと、蒸せかえるような湯気の中でちゃんとその匂いがたっていて、「おはよう」と言った。

そーゆー日はたいてい、ジャガイモをみじん切りしたものと目玉焼きをテーブルの真ん中においたホットプレートで焼いた。
カリカリ焼かれたフランスパンはガーリックバターがねっとり塗られていて、もしくは食パンにサファイヤみたいなブルベリージャムがまるでデザートみたいに付いている。それとたっぷりのバターが一緒に。


そうゆう優秀な食卓の中で、そのスープは申し訳なさそうに、でもちゃんと隅っこにあって、その中には人参とスパイシーな粗挽きウインナーとエリンギとシメジと時にはベーコンも、それからふんだんにキャベツが浮かんでいた。


そのキャベツは頭がおかしいじゃないかというほど甘くて、それが不快だったんだと思う。

だけど、いっぱいのキャベツがキライなんてとてもじゃないけど言えなくて、私はたいてい残すか、となりの姉の皿に、したら顔で注いでいた。



それしてもスープってほんと幸福みたいだ。
暖かい色を着ていることば。
たとえ夏に聞いても、冬に聞いてもとても幸福になるから、あったかいんじゃなくて、愛情みたい。
スープってことばには愛情がとけてる。


あの人はまるでスープみたいだった。
ほんとうに幸福なのに、私はだいっきらいだった。
あのキャベツをたっぷり使ったコンソメスープみたいに。


私はただ幸福になりたかったんだと思う。

もしもあなたが許すなら、いつかあのゴテゴテのスープを作ってあげたい。

まるでスープみたいなあなたに。
まるでスープみたいな愛を込めて。
まるで幸福みたいな顔をして。