恋しい布団様との惜別と、夏目漱石先生と、お腹のすいた慎。

慎です。

最近は朝夕寒くなりまして…一番の苦痛はふとんから出ること。暖かいのに、もっとふとんさんと一緒に居たいのに…そんな恋人を失わんが如く、脱出劇をするのです。
嗚呼、布団様…

日は経ってしまいましたが、合宿がありまして。
いろいろな文化を持っている方から、様々な話を聞いたり議論出来たのは有意義な時間でした。建設的に話も出来たことは良かったと思います。なかなかやり手のファシリテーターがいて、彼女なら社会人になってもしっかりと仕事をこなすキャリアウーマンになるであろう、と踏んでいます。

愛も変わらず(!?)、ヤングリってえぇなぁー、とウソ関西弁を使っています。関西弁って、東京語と違ってフランクですよね。いいなぁとは思いますが、やはり自分は栃木っこ。栃木弁を駆使して、仕事していきたいと思います。

えぇ?不満?僕の裁量じゃ変えられるわけなかんべよ、ごめんねごめんねぇぇぇぇ(´Д`)ぇぇ




■今日の本

二百十日・野分』 夏目漱石 新潮文庫 2005年三十三刷 1976年初版

二百十日・野分 (新潮文庫)

二百十日・野分 (新潮文庫)

二百十日は季節を表す言葉らしいです。
Wikipediaによると、≪二百十日(にひゃくとおか)は雑節の一つで、立春から数えて210日の事。毎年9月1日前後。季節の移り変わりの目安となる「季節点」のひとつ≫だそうです。

この文庫には二作入っています。
◎「二百十日」は、碌さんと圭さんが阿蘇山登山をする物語。その中で語られる話がおもしろいですね。
碌さんが掲げる「豆腐屋主義」。金持ちが横行する非人情な社会を人情味あるものに変えようと碌さんが立ち上がろうとしているのです。
季節感がある文体、熊本阿蘇の昔の方言があったり、隣の部屋から聞こえる竹刀と小手の話など、なかなか面白い描写があります。

◎もっと面白いのは「野分」の方でして。こちらは、田舎の中学校を自分の理想主義のために追い出される文学者・白井道也と昔の教え子の話です。
「解脱と拘泥」の論文は「胃の悟り」のくだりが妙に納得できて不思議な面白さがあります。
白井先生は講演の方が興味深く、「自己は過去と未来の連鎖である」と説きます。明治40年の間に何が行われたか、沙翁が出ない、ゲーテが出ない。工業化社会を取り入れ、物資主義を取り入れたに過ぎない日本。明治の若者は、過去を重複するために生きるべきではなく、これからの前例を作るために生きなければならない。身分を越えて知見を広め、良い日本を作ることが若者の使命である。
…と、説いています。
明治時代当時の社会的背景を敏感に感じていた漱石先生だからこそ書けた小説なのではないかなと思います。


この小説に書かれている事は、今の僕らの世代にも言えるのかなぁと、ぼんやり考えます。
世界は驚くべきスピードで(文化的にも物質的にも)小さくなり、新しい脅威が出てくる。新しい発見が日毎ではなく時間毎に自分に届く。過去の前例だけを鑑みるのではなく、これからの、「持続可能な社会」の構築のために、若い世代がリーダーシップを取って邁進していく。将来に繋がることをどんどんしていかなきゃいかんな、と、この小説を読んで、ぼんやりとした不安を抱きながら、思うのです。


大きなことを考えているようで、今、お腹が空きすぎていて、上野駅の「ちゃぶぜん」に行こうか思案した結果、財政問題が脳内議会で議論紛糾したため、大人しくおうちに帰る途中の慎でした。