自然の美しさに涙したことがありますか

村雨の露もまだひぬまきの葉に 霧たちのぼる秋の夕暮れ」寂蓮法師

日が沈むころ、自転車で猪苗代湖へと向かうまっすぐ伸びた道にはひと気がない。
民家の畑では、腰を曲げたおばぁちゃんが青菜を摘む。
日陰の道には、昨晩降った雨の冷たさが残る。
ふと見上げると、白鳥が夕空を飛んでいる。
夕焼け空をバックに、なんて優雅なんだろう。

湖に着くと、美しい音色が聞こえる。
水面からちょこんと顔を出した岩の上に、一羽の小鳥が歌っている。
なんて清らかな声だろう。
なぜ小鳥の歌声は、こんなにも人の心を満たすことができんだろう。
・・・ひとつ、聖句を思い出した。

「空の鳥を見るがよい。
まくことも刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていてくださる・・・
・・・きょう生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたにそれ以上よくしてくださらないはずがあろうか。
・・・まず、神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。(マタイ6:25)」

あぁ、あの小鳥のように、聞く者すべての心に清らかに響く、
そのような歌を歌えたらいいなぁ・・・

はい。
昨日まで福島に帰省していました、やんぐりOGの式部です★どもども初めましての方は初めまして^^
式部の地元は福島の郡山市湖南町です。湖のすぐ南だョ。自然がとても美しいところです☆☆

でも、自然って、どうしてこんなにも美しくて、そのままで良くて、着飾らなくて、自己主張をしなくて・・・
あまりに不思議に思ったので、山に問い、川に問い、空に問い、木々に問い、花に問い、鳥に問いました。
返ってきた答えは、たった一つでした。

「私は、あなたのために生きているから。」

環境問題を解決し、自然を守るということは、
自然の摂理に同化すること、調和し、共存することなのかもね。
じゃあ、どうやってそれを成すんだろ?
この答えがその答えなのかもね。

それはつまり「お互いがお互いのために生きる。」こと。

地球にも生態系があり、一人の体の細胞にさえ生態系がある。
60億もの細胞が誰一人自己主張することもせず、ただ「身体であること」のために働いている。
「循環型」とか、「持続可能」とか、なんだかんだと難しい言葉は必要ない。宇宙は有機体だ。
人間が悩み、答えを見出す前から、宇宙は既に「永遠」を知っている。
宇宙を創造した者を神と呼ぶならば、神は調和を知り、永遠を知っているんだね。

では、こんな感じでいいかな。
またね!