生物多様性と儒教思想

オスカーです。生物多様性ミーティング、お疲れ様でした。

最近、その曜日のうちにメーリスの更新をできていないことが多いですが、どうかご勘弁を…
さて、今日は生物多様性儒教について、覚え書きをします。

とめちゃんのメーリスに、「まだ生物多様性の問題を知らな過ぎるので、危機感がなく取り組み方も分からない…、まずは問題を知らないと熱意も生まれません。」とあったけど、問題を認識するというのは、すごく大事だよね。後は、その認識を絶えず新鮮な状態に保つこと、そのためには、まだその問題を十分に分かってない人に、伝え続けることが重要になるね。

まぁ、楽器とかエンターテイメントの類だと、比較的継続するのは簡単だけど、生物多様性や気候変動の問題は、知識に加えて、覚悟や忍耐、そして、相手の懐に飛び込む度量が必要になるのだろうなと、つくづく思います。

今週、エコロのツアーで、ドイツの環境活動家の方と、鎌倉のツアーに行くけど、そんな話も聞けたら嬉しいです。海外の人とと話すと、つくづく、自分が日本について知らないことを思い知らされますね。


最近は、儒教思想の勉強をしてます。加地伸行さんの『儒教とは何か』(中公新書)を読んでるけど、久しぶりに当たりでした。儒教というと、孔子とか、倫理道徳とか、封建的だとか、そういう評価を受けがちです。でも、それは儒教の倫理道徳の側面、すなわち、礼教性に過ぎないと筆者は主張します。そして、儒教の持つ宗教性(死についての思索)に着目して、日本にいかに儒教の精神性が根強く残っているかを、論証していきます。確かに、ユダヤキリスト教は、自然破壊の元凶だとか、仏教は自然を大切にするとか、そんな宗教を絡めた話が流行したこともあったけど、儒教について、そのような宗教的な次元はあまり議論されてないかもしれない。

彼によると、お彼岸に墓参り行くという行為が、すでに儒教的な歴史性を帯びているとのこと。孝という生命論が、親だけでなく、先祖や子孫にまで射程を入れた概念だったことも明らかにしており、西欧哲学かぶれのボクには、すごく刺激となった本でした。

しかし、思想には力がある。現場も大事だけど、理論も大事。みんな、どっちかに偏りがちだけど、うまくバランスを取りたいなぁ。

ではまた来週。