石の上にも3年

オスカーです♪

今日の寒さは本当に厳しかったですね。耳がちぎれるかと思いました(泣)
でも、この四季があるからこそ、季節の彩りや日本文化があるのでしょう。自然と人間の相互関係は奥深い。和辻哲郎の『風土』に出てくる、寒さの分析をふと思い出しました。客観的な気温があるのではなくて、寒さを感じた瞬間の人間存在が実は寒さという存在を規定するという、わかったようなわからないような現象学的認識論。初めてこれを読んだ大学4年生のときはすごく衝撃を受けたのに、今では何がすごいかイマイチ分からない(>_<)初心忘るべからず。


さて、COP15の会議が進行中です。この手の国際会議の本質や舞台裏は本当に素人にはわからないと痛感しながらも、今日の朝日の夕刊の『日本国、途上国支援のために官民合わせて1兆7500億円を拠出を表明。実現すれば、先進国全体の4割弱にあたる大規模支援になる模様』という記事が目に留まりした。人類にとって歴史的に重要な意味を持つことになるのかもしれないと感じました。

例えば、湾岸戦争のときもこんな雰囲気だったのだろうかと考えてみたりしました。環境問題は環境安全保障つまりセキュリティーの問題だから、あらゆる方策が必要になる。ただ、戦争と違って、敵が自分たちのライフスタイルや科学技術文明という側面も少なからずあるから問題は非常に複雑になります。環境問題の被害が深刻になるのはもう少し未来になってからだから、この時間軸のずれの把握が非常に難しい。

一方で、空間的に見ると途上国はこれから発展する気持ちで一杯だから今回のような援助が必要になる。エゴィスティックに考えれば、対外援助=恩恵的行動=不完全義務ですが、これが完全義務となったあたりは、人類の倫理面の進歩(変化)かなと考えることができるかもしれません。19世紀の英国や20世紀の連合国では絶対に考えられないからね。国際協調という理念はやはり第2次世界対戦の反省が利いているのかな。

この問題には、専門官や市民、NGOと多数の人々が関わっているけど、やっぱり実働部隊は官僚制の担い手の国家公務員。公僕ゆえにメディアにたたかれまくって、本当にあまりに感謝されなさすぎることを最近可哀想に思います。判官贔屓かなぁ。

さて、修論の第1稿、今日で3分の2ほど書けそうです。運がよければ、学部のときと同様に学内誌に載せることができるかもしれないから、気合いを入れて頑張ろうと思います。人生においてオフィシャルな作品を残せるチャンスは本当に限られているからね。第3稿くらいまでに推敲すれば、最低限の論理性も学問かじっている人に伝わるくらいの明瞭さを確保できるはず。

議論の途中で、米国の法哲学者のジョン・ロールズによる『正義論』を少し使うのですが、今日アマゾンで原著が届きました。年末年始でコツコツ読めたらいいな。学部のときは文献がほとんど英語だったのに、今は日本語しか使ってない(外国の文献をちゃんと原著で確認してない)のでちょっと情けない想いをしてたんだけど、ようやく学問っぽくなってきました。人文社会科学を初めて3年。やっぱり石の上にも3年で、何事も3年くらいしてようやくスタートラインに立てるんだよね。

ヤングリは3才と9ヶ月。次はどこに向かいましょうか。何をなしましょうか。忘年会が楽しみです♪

☆覚え書き☆
パリ手稿(ミル評注)、師匠に質問